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アイテム
教護院の学校教育の導入をめぐる福祉職と教育職の協働に関する研究―淡海学園の事例を通して―
https://doi.org/10.14993/0002000737
https://doi.org/10.14993/00020007374d1f4b4b-512e-4843-bb60-225512b0b36e
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | 学位論文 / Thesis or Dissertation(1) | |||||||||||||
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公開日 | 2025-05-16 | |||||||||||||
タイトル | ||||||||||||||
タイトル | 教護院の学校教育の導入をめぐる福祉職と教育職の協働に関する研究―淡海学園の事例を通して― | |||||||||||||
言語 | ja | |||||||||||||
タイトル | ||||||||||||||
タイトル | A Study on Collaboration between Welfare Workers and Educators Regarding the Introduction of School Education to Juvenile Training and Education Home | |||||||||||||
言語 | en | |||||||||||||
言語 | ||||||||||||||
言語 | jpn | |||||||||||||
資源タイプ | ||||||||||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_db06 | |||||||||||||
資源タイプ | doctoral thesis | |||||||||||||
ID登録 | ||||||||||||||
ID登録 | 10.14993/0002000737 | |||||||||||||
ID登録タイプ | JaLC | |||||||||||||
アクセス権 | ||||||||||||||
アクセス権 | open access | |||||||||||||
アクセス権URI | http://purl.org/coar/access_right/c_abf2 | |||||||||||||
著者 |
荒木, 実代
× 荒木, 実代
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抄録 | ||||||||||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||||||||||
内容記述 | 教護院は、「不良行為をなし、又はなすおそれのある児童を入院させて、これを教護することを目的とする」児童福祉施設である。しかし、教護院の児童は、1947年に制定された学校教育法第23条により、就学猶予又は免除の対象となった。さらに、児童福祉法第48条第2項で、学校教育法の規定による小学校又は中学校に準ずる教科を修めた者に対し、教護院長に修了証明書の発行を認める例外規定が定められた。そして、教護院の児童などは、教育と福祉との“谷間”に落とされてきたという“教育福祉”の問題があった。そこで、本研究では、第一に教護院への学校教育を導入しようとの動きの中で、教護院間、文部省、厚生省の間で行われた学校教育導入論争を辿り、収束に至る過程を明らかにすることを目的とする。第二に、教護院への学校教育の導入による教育職と福祉職の教科教育のあり方の模索と協働の実態を明らかにすることを目的とした。方法は、文献研究とインタビュー調査である。文献研究では、雑誌『教護』『非行問題』『淡海』や学校教育導入論争に関わった小嶋直太郎、石原登などが著した論考を対象とした。インタビュー調査では、滋賀県立淡海学園の教護職と教諭を対象とした。淡海学園を対象にした理由は、教護院への学校教育の導入を進めた小嶋直太郎が園長を務めたことと、論争中に学校教育を導入したからである。しかし、最大の理由は、学校教育が導入されていた1980年代の同時期に、教護職と教諭であった人を対象にすることで、両者の実践を聴くことができるからである。 その結果、本研究を通して、次の4点が明らかになった。1点目は、教護院への学校教育導入論争の議論の過程を3期に分けて明らかにしたことである。第1期は、教護院の児童が卒業証書を課題として、論争がはじまった1950年代とした。小嶋直太郎が厚生省や文部省に働きかけたが、理解は得られなかった。第2期は、全国的な論争に発展した1960年代、1970年代とした。高校への進学率が上昇し、小嶋以外の地方の教護院長も、教護院内で学校教育が必要との意識が生まれ始めていた。また菊田幸一のような法学者も、教護院での学校教育の必要性を訴えはじめた。第3期は、小嶋が教護院の児童の教育を受ける権利を求めて人権救済の申立を行った1980年代とした。厚生省が分校・分教室の設置を認めるようにとの動きであった。 2点目は、1980年代後半の教護院において、1988年に行われた全国教護協議会による学科指導に関するアンケートから、福祉と教育の谷間にある課題を検討した。そこから、福祉職と教育職の協働がなければ、教護院の児童の生活と教育は分離するという課題が示されていたことが明らかになった。 3点目は、淡海学園における事例を用いて、児童を保護する教護職の役割を示したことである。淡海学園から高校へ通った事例Mと、淡海学園から他の地域の高校へ進学した事例Tを検討した。二人の事例から、教護職との信頼関係の有無や、他機関へつなぐ場合に児童をよく知る人が必要であることが示唆された。 4点目は、1980年代の淡海学園の教護職と教諭とが、どのように協働していたかを明らかにしたことである。1980年代前半は、教護職と教諭は学校教育や寮生活を通して、手探りで児童の力を伸ばそうとしていた。そして、職種を超えて相互に学び合おうとしていたことが明らかになった。教護職と教諭へのインタビュー調査から、児童の力を伸ばすためには、異なった職種であっても児童の力を伸ばすという共通目標をもっていたことが、淡海学園における協働の築き方であったことが明らかになった。 本研究は、現代とは異なる時代であることや一事例であるなど限界はあるが、今後も研究を重ねていきたい。 |
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言語 | ja | |||||||||||||
書誌情報 |
p. 1-150, 発行日 2025-03-20 |
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学位授与番号 | ||||||||||||||
学位授与番号 | 甲第226号 | |||||||||||||
学位名 | ||||||||||||||
言語 | ja | |||||||||||||
学位名 | 博士(臨床教育学) | |||||||||||||
学位授与年月日 | ||||||||||||||
学位授与年月日 | 2025-03-20 | |||||||||||||
学位授与機関 | ||||||||||||||
学位授与機関識別子Scheme | kakenhi | |||||||||||||
学位授与機関識別子 | 34517 | |||||||||||||
言語 | ja | |||||||||||||
学位授与機関名 | 武庫川女子大学 |