{"created":"2023-05-15T12:07:05.244241+00:00","id":1917,"links":{},"metadata":{"_buckets":{"deposit":"f7f9a9df-4cea-45a8-a1c7-1158b7aa51ef"},"_deposit":{"created_by":17,"id":"1917","owners":[17],"pid":{"revision_id":0,"type":"depid","value":"1917"},"status":"published"},"_oai":{"id":"oai:mukogawa.repo.nii.ac.jp:00001917","sets":["18:20:75"]},"author_link":["9408","9409"],"item_10006_biblio_info_22":{"attribute_name":"書誌情報","attribute_value_mlt":[{"bibliographicPageEnd":"130","bibliographicPageStart":"1","bibliographic_titles":[{}]}]},"item_10006_date_granted_11":{"attribute_name":"学位授与年月日","attribute_value_mlt":[{"subitem_dategranted":"2020-03-20"}]},"item_10006_degree_grantor_9":{"attribute_name":"学位授与機関","attribute_value_mlt":[{"subitem_degreegrantor":[{"subitem_degreegrantor_name":"武庫川女子大学"}],"subitem_degreegrantor_identifier":[{"subitem_degreegrantor_identifier_name":"34517","subitem_degreegrantor_identifier_scheme":"kakenhi"}]}]},"item_10006_degree_name_8":{"attribute_name":"学位名","attribute_value_mlt":[{"subitem_degreename":"博士(臨床教育学)"}]},"item_10006_description_7":{"attribute_name":"抄録","attribute_value_mlt":[{"subitem_description":" 山本正次は1960~70年代の大阪の綴方教育を牽引した教師で、実践を綴った357冊のノート(以下、「教育ノート」)を遺している。退職後の山本と交流があった筆者は、山本の遺族からこれらの教育ノートの複写の許可を得た。ここには、子どもの言動や授業記録等の他に、校内外での教師や保護者との交流、教育動向に関する思索などが記録され、実践の過程での山本の葛藤や苦悩も散見できた。このような教育ノートを山本の実践の反省的考察の場と捉えた筆者は、現職時代に書かれた141冊を研究対象として、教師が「綴る」ことの実践的意義を明らかにすることを試みた。\n 本論では先行研究をもとに、1)坂元忠芳の教育実践記録論を参照し、実践を記録することで実践の省察とともに「子どもの世界」への接近や次の実践への見通しが創出できる一方、記録の過程では実践に対する教師の主観的理解や「粉飾的再現」の可能性が避けられないのではないか。2)齋藤浩志の1960年代実践から導出された教育実践論からは、教師が「綴る」ことで発見できる子どもの学習の現実世界は、明示されたカリキュラムに対して「非カリキュラム」と呼ぶことができ、「綴る」ことによる「子どもの世界」の接近によって、子どもの側から学習を捉え直し、実践の課題を明確化できるのではないか。3)アメリカの心理学者のブルーナーは30年にわたる研究と思索の変容から、子どもの内面世界と対話し構成される文化的共同を模索することを示したが、これは山本の「非カリキュラム」への注視と共通したものと見られるのではないか、という3つの探究の柱を立てた。\n 第1章では、山本の著作などを資料として、戦中から1950年代前半までの教育実践について検討した。山本が勤務した大阪市立鶴橋小学校では、戦時下にあっても貧困や差別の地域課題に応える実践が展開され、教師の自主的な研修が構築されており、ここでの実践が戦後の山本の子どもとのペタゴジーレベルでの応答や教師間の研究姿勢の基盤となったことを確認した。また、芦田恵之助から教師の「内観」を意識づけられたことが、山本の「綴る」ことと連関したと捉えた。戦時下の反省に立った山本は、「批判的な目」の保持を戦後の生き方の基軸としたが、自身が「国家主義の教師」であったという事実との間での「揺れ」を常に意識していた。山本にとっては、このような「揺れ」の自覚と自己対話を「綴る」ことが、実践の歴史的反省の場ともなった。第2章では、教育ノートをもとに、1960年代の大阪の私立四條畷学園小学校勤務時の実践を検討した。1950年代後半から科学主義・系統主義のカリキュラム思潮が広がる教育現場において、山本は子どもが生活を通して感覚的理解をしていく中に「科学性」「系統性」に繋がる学習の論理が見いだせることに気づき、板倉聖宣が提唱した仮説実験授業研究会に参加したことで、科学と綴方を往還することになった。この時期の山本実践は、子どもが生活世界の中で理解する事実を「非カリキュラム」とよび、カリキュラムとの統合の過程が教育実践であると捉えた齋藤浩志の教育実践論と通底する。第3章では、教育ノートを中心として、学級・学年通信、四條畷学園小学校の教師間の交流ノートなどから、山本が教師と子ども、子どもと子ども、教師と保護者、教師と教師の複層的な相互関係を、「綴る」ことを仲立ちとして構築する過程を検証した。学校教育の方向を「教師と保護者の教育理念が一致した上に基礎づけるべき」だとした山本は、保護者の相違する意見を聴き取り、学級・学年・学校通信などに掲載して交流に委ねた。そして、子ども、保護者、他の教師の考えや意見をそのまま教育ノートに写し取りながら、それぞれを教育の主体者と認識し、平等に受け止め、意見の交差を推進させようとした。本論では、このような山本の実践が、教育的な「共同」の土台を構築する過程を考察した。\n 結章では、山本の教育ノートを「綴る」ことの実践的意義を、1)自身の実践を対象化し、歴史や社会の変化と照らし合わせながら、批判的に検討したこと。2)子どもの生活のなかで実感される「学び」に着目し、それを教師が考案するカリキュラムと往還させたこと。3)授業・学級通信などで綴り、綴り合う交流を通して、教師・子ども・保護者それぞれを教育の主体として位置づけたこと、の3点にまとめた。山本は屡々「いいと思ったことは恐る恐るやってみる」と語ったが、他者に簡単に同調しないという戦後の山本の決意は、教育ノートに綴りながら持続されていったと言え、書くという自己対話の行為は、問いを自分の「内」に引き寄せて考え、その思考の範囲内において実践を模索するという保守的な営みと定義できた。ここから、教育ノートは外部からの抑圧に対処し、教師が教育実践を主体的に確実に進展させることに資すると結論づけた。","subitem_description_type":"Abstract"}]},"item_10006_dissertation_number_12":{"attribute_name":"学位授与番号","attribute_value_mlt":[{"subitem_dissertationnumber":"甲第173号"}]},"item_10006_identifier_registration":{"attribute_name":"ID登録","attribute_value_mlt":[{"subitem_identifier_reg_text":"10.14993/00001878","subitem_identifier_reg_type":"JaLC"}]},"item_access_right":{"attribute_name":"アクセス権","attribute_value_mlt":[{"subitem_access_right":"open 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